【インタビュー】『歴史をつくった洋菓子たち』著者・長尾健二さんに聞く「洋菓子の長い歴史に彩られた興味深い物語を知ることで、一層深い味わいを感じていただければ」

ザッハトルテ、マドレーヌ、タルト・タタンなど、14種の洋菓子にまつわる歴史と物語が詰めこまれた『歴史をつくった洋菓子たち』が出版されました。著者は、今から40年ほど前に伝統菓子キプフェルの由来伝説について書かれたフランス語の記事に出会ったことがきっかけで、料理や菓子の発展史に関心を深めるようになったという長尾健二さん。ヨーロッパで書かれた原典などから集めたという豊富なエピソードを交えながら、今に伝わる洋菓子たちがどのようにして世界中に広がる文化へと昇華していったのかを紐解いていく、洋菓子をめぐる時間旅行へと誘う一冊です。本書を出されたきっかけや、次回作への思いなどについて伺いました。


Profile  長尾健二

1949年東京生まれ。
(社)日本洋菓子協会連合会にて30年近くにわたって洋菓子専門月刊誌『ガトー(GATEAUX)』の編集に携わった後、退職してからはフランス料理を中心とする食文化史の探求に専念する。
また、併せて洋菓子の由来と歴史に関する古今の資料収集にも力を注ぐ。
著書『ガストロノミー──フランス美食革命の歴史』(韓国B&Cワールド社刊、2012年)


――30年近くにわたり洋菓子専門月刊誌『ガトー(GATEAUX)』の編集に携わられていた長尾さん。そのころの思い出などをお聞かせください。

長尾「30年というと長く感じられますが、過ぎてしまえばほんの一瞬のことのようでもあります。月刊誌の編集という仕事は、言ってみれば同じパターンの繰り返しですから、よくよく思い返してみれば楽しいことやそうでないこと、報われたことや期待通りにいかなかったことなどいろいろとあったはずですが、そうしたことはすべて時という埃の中に埋もれてしまって今となってはどうでも良いことです。
逆に、ガトーの編集長だったというキャリアが今でも私の価値を決めているのであれば、それはそれでちょっと寂しいですね」

――退職後、フランス料理を中心とする食文化史を探求されるようになったきっかけや思いを教えてください。

長尾「退職後に食文化史の探求を始めたわけではなく、ガトーの編集に携わるようになってすぐに『あとがき』に書いたキプフェルの由来についての雑誌記事との出会いがあり、それ以来少しずつヨーロッパの歴史文化と料理や菓子の発展史との関わりについての関心を深めてきました。特に興味をひかれたのはガストロノミーの発展とフランス革命との関係です。フランス革命によって王宮や貴族の料理人が市井に流れ、それがガストロノミーの発展を促した、という論説はしばしば目にし耳にしますが、実際にその根拠となるような資料はどの論述でもほとんど示されていません。この辺のあやふやさは洋菓子の由来伝説に通じるところがあります。それをはっきりさせたいと思って調べ始めたことが、後になって『ガストロノミー――フランス美食革命の歴史』を書くきっかけになりました」

――今回発売された「歴史をつくった洋菓子たち」について、本書を出されたきっかけや本書の魅力について教えてください。

長尾「本書の出版は、実はたまたまです。2012年に韓国で先述の『ガストロノミー――フランス美食革命の歴史』という単行本を出版しましたが、その後、同じ出版社が出している月刊誌から洋菓子に関する連載コラムを書いてほしいという依頼があり、『ガストロノミー』執筆のために集めた資料も利用しつつ『洋菓子の時間旅行』という連載を書きました。
これはもとより単行本にすることを前提に書いたものではありませんでしたが、せっかく書いたのだからと原稿を日本向けに大幅に書き直し、PCで印刷して自家製本した『お菓子は語る』というタイトルの私家版を何冊か作って親しい知人に配りました。
それからしばらくしてカレームの『パティシエ・ロワイヤル・パリジャン』の翻訳出版をお手伝いすることになり、出版社探しの過程で資料のひとつとして『お菓子は語る』を添付したところ、築地書館の土井社長の目にとまり出版のお話をいただいたのです。私としては予想外の展開で、こんなことならもう少しちゃんと資料を整理しておけばよかったといささか忸怩たる思いもあります。
というわけで、『歴史をつくった洋菓子たち』はいわば『ガストロノミー』のサブセットとも言うべき本です。本当は両書を併せて読んでいただければよいのですが、『ガストロノミー』はやや専門的で読者を選ぶ内容ですから日本での出版は難しいでしょう。両方でワンセットというのは、ですから単なる私の勝手な思い入れにすぎません」

――膨大な資料のもと本書が完成したことが想像されますが、ご苦労されたことなどについて教えてください。

長尾「本書を書くにあたって利用したのは、大部分が18世紀から19世紀にかけてのフランスおよびイギリスの古い文献資料です。これらの資料を必要に応じて集めるのは、おそらく20年前だったら考えられもしなかったことでしょう。日本国内においては、主要な大学図書館にすら収蔵されていないような文献ばかりですから。
しかし、現代ではこうした貴重な文献資料もインターネットで簡単に手に入ります。探し方さえ知っていれば、ほとんどピンポイントで探し当てることもできます。また、最近ではフランスで古い希覯本の復刻がさかんに行なわれており、これもAmazonなどを通して安価で購入することが可能です。つまり、やる気と手間を惜しまない熱意があれば『歴史をつくった洋菓子たち』のような本は今や誰にでも書けるということです。
それよりも、本書をまとめる上ではむしろ編集を担当された築地書館の黒田さんに大きなご苦労をかけることになってしまいました。前述のようにもともと出版を意図したものではなかったので、執筆当時は用語の統一やエピソード間の整合性などまったくお構いなし。単行本化に当たってそうした荒削りな部分を洗い出して修正必要な箇所をチェックし、一冊の本としての方向性を確かなものにしてくれたのは黒田さんの地道な作業のたまものです。さらに、ともすればパティシエの視点に偏りがちな私の記述に一般読者の目で率直な疑問を呈し、より普遍的な内容になるよう適切なアドバイスをくれたことも、本書の価値を高める上で大いに寄与したと思います。おかげで、独りよがりの泥沼から這い出し、何とか皆さんに読んでいただける本に仕上げることができたように感じています。一冊の本は著者と編集者の共同作業から生まれるとはよく聞く言葉ですが、今回の経験はまさにそれを実感するものでした」

――長年スイーツとともに過ごされている長尾さん。スイーツへの思いや、お気に入りのスイーツについて教えてください。

長尾「私は『スイーツ』という言葉は極力使わないようにしています。対象範囲が広すぎてかえってイメージがぼやけてしまうからです。
その上で、『私にとってお菓子に対する思いは?』という問いについては、本書の冒頭に掲げた『私たちにとってシュークリームやカップケーキは、パンや塩のような必需品ではない。しかし、『美しく青きドナウ』や『ヘイ・ジュード』と同様、それは私たちに必要なものなのだ。お菓子について深く知ることで、人を人たらしめているのが何なのか、たぶん、もう少し学ぶことができるだろう』というマイケル・クロンドルの言葉が答えになるでしょう。私はパティシエではありませんからレシピ自体にそれほど興味があるわけではありません。それよりむしろ洋菓子と人びとの暮らし、さらにはその背後にある文化との関わりに関心を持っています。
ですから、私にとっては洋菓子はどれも皆等しく考察の対象です。したがって、特にお気に入りの洋菓子というのもありません」

――長尾さんがこれから挑戦してみたいこと、興味があること、作ってみたい本などあれば教えてください。

長尾「先に述べたカレームの『パティシエ・ロワイヤル・パリジャン』の翻訳出版、これが最大かつ最優先の課題です。もちろん私が翻訳するわけではなく、編集および整理が担当ですが、これを日本で出版できる形までもっていくのはかなりの難事業だと実感しています。ただ、カレームの業績と現代フランス料理および菓子への影響の大きさを考えるならば、出版の意義は計り知れないほど大きいと思いますし、それを実現するための苦労は厭わないつもりです」

――最後にスイーツファンに向けて、メッセージをお願いします。

長尾「これも『あとがき』で書いた『普段何気なく口にしているさまざまな洋菓子ですが、その陰には長い歴史に彩られた興味深い物語が隠されていることも少なくありません。その物語を知っていただくことで、ありふれた洋菓子に新たな光が射し、一層深い味わいを感じていただくことができたなら著者として望外の喜びです』。これに尽きます」


『歴史をつくった洋菓子たち』

著者:長尾 健二
出版社:築地書館
発売日:2017年12月11日

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