[佐藤ひと美のスイーツレポート378]国産カカオプロジェクトと美食都市ビジョンの融合――VISONが紡ぐ日本ショコラ界の未来と技術的革新の全貌

気候変動や生産地リスクの高まりにより、世界のチョコレート業界が“カカオショック”と呼ばれる深刻な供給不安に揺れる2026年。日本の、そして世界のショコラ界の歴史を塗り替える壮大なイノベーションが、三重県多気町の商業リゾート施設「VISON(ヴィソン)」から産声をあげました。

【VISON[ヴィソン]】東京ドーム24個分(約35万坪)の広大な敷地に、四季を感じるホテルや日本最大級の産直市場、薬草で有名な多気町にちなんだ薬草湯、和食の食材メーカーによる体験型店舗、有名料理人が手掛ける地域食材を活かした飲食店舗、オーガニック農園など、9つのエリアに約70店舗が出店する複合商業型観光リゾート施設

松阪市に本社を構える「辻製油株式会社」、世界的パティシエ・ショコラティエの「辻󠄀口博啓シェフ」、そして「ヴィソン多気株式会社」の3社連携による、極めて稀なる「本土産国産カカオ100%のショコラ」の完成です。

2021年7月の「カカオハウス」設立から5年 。吉川美南の大型ショコララボでの製造工程公開、そして2026年6月24日の商品完成お披露目を経て明らかになった 、泥臭くも科学的なアプローチと、日本のものづくりの知恵が詰まったドキュメントをお届けします。

1. 5年の軌跡:2021年の「初志」から2026年の「結実」へ

今から5年前の2021年7月、アジア圏でのチョコレート需要拡大と温暖化によるカカオ絶滅の危機感を見据え、VISON内に225㎡の「カカオハウス」がオープンしました。

「人真似はしない。どこもできない。どこも取り組まないことに取り組む。」

この強い企業理念を持つ辻製油が栽培管理を担い、自動制御設備によって室温25〜40℃、湿度70%以上の熱帯環境をハウス内に再現。当初58本からスタートした苗木は、トライ&エラーを繰り返しながら現在は23本が力強く成長しています。

品種はクリオロ種、フォラステロ種、トリニタリオ種の3種を試験栽培。

年間5,000〜10,000輪もの可憐な花を咲かせながらも、実を結ぶのはわずか1〜3%という極めて厳しい生育条件の中、2022年7月29日に奇跡の初収穫(カカオポッド1個)を達成。

そこから研究機関として高度なデータ蓄積を続け、2026年4月30日現在までに収穫されたカカオポッドは総数464個(総重量171.4kg)。しかし、そこから得られた「発酵・乾燥物(チョコレートの原料となる豆)」の総量は、わずか9.4kgに過ぎません。

一見すると、この途方もない「目減り」に驚かされますが、ここにはカカオの生物学的特性と、辻製油の驚異的な品質管理の秘密が隠されています。

総重量171.4kgから「9.4kg」へと凝縮された科学的背景

なぜ、収穫された171.4kgのカカオから、わずか9.4kg(歩留まり約5.48%)の原料しか残らないのでしょうか。これは決して「生産の失敗」ではなく、むしろ熱帯の本場カカオ農園と寸分違わぬ、極めて正常で適正な生物学的プロセスを踏んだ「美しい結晶」である証拠なのです。

① 水分と「カカオポッド」の構造(重量が激減する物理的理由)

・殻(ポッドハスク)の割合: カカオの収穫総重量「171.4kg」は、外側の非常に厚くて重い殻(カカオポッド)を含んだ全体の重さです。植物学的にカカオの実は、その総重量の約70〜80%を食べられない外側の分厚い殻が占めています。そのため、中の豆(種子)を取り出した時点で物理的に重量は大きく削られます。

・果肉(パルプ)の水分消失: 中の種を包んでいる白い果肉(パルプ)は、ライチのようなトロピカルフルーツの香りと甘酸っぱさを持っていますが、その大部分は水分です。辻製油の松阪市本社工場で行われる約2週間に及ぶ発酵の過程で、パルプの水分は液体(汗)となって流れ落ち、劇的に消失します。

・豆自体の乾燥: さらに発酵後、約1週間をかけて天日干し(乾燥)を行います。カカオ豆を長期保存・輸送するにあたり、カビの発生を防ぐ世界的な国際基準値が「豆自体の水分量約7〜8%以下」です。この基準値まで注意深く水分を落とすことで、カカオ豆はさらに軽量化されます。

一般的に、赤道直下のどのような一流農園であっても、丸ごとの果実から最終的な「乾燥カカオ豆」として残るのは全体のわずか5%強。今回の「5.48%」という着地点は、三重のハウス栽培が世界のトップテロワールと同等の精製を完全に再現できた証にほかなりません。

② 「9.4kg」という数字が持つ真の価値

この数字が意味するのは、単なる精製結果ではありません。辻製油では、収穫後にカカオポッドの色づき具合(緑→黄→赤褐色)をすべて番号で管理し、成熟度とカカオ豆・パルプの品質の相関性を検証し続ける「緻密なデータ管理」を行ってきました。 つまり、この9.4kgは「一切の未熟豆や不良豆を混ぜず、完璧に選別された純粋なAクラスの乾燥カカオ豆だけが残った」という、執念の品質管理の証明なのです。

さらに本プロジェクトでは、一般的なチョコレート製造で行われる「外部からのカカオバターの追加(追油)」を一切行わず、この9.4kgの豆に含まれる天然の油脂分だけで板チョコを成形します。正真正銘、一滴のごまかしもない「VISON100%」の結晶が、この9.4kgという重みに凝縮されているのです。

2. 「虫なき日本本土」での受粉イノベーションと発酵の科学

日本本土でのカカオ栽培における最大の障壁の一つが「受粉」でした。本来、熱帯地域のジャングルでは微小な昆虫が受粉を媒介しますが、日本のハウス内にはその虫が存在しません。

そこでプロジェクトチームが導き出した知恵が、「扇風機を用いた人工受粉」や、ハケを駆使した気の遠くなるような手作業によるアプローチでした。この受粉効率化への継続的な研究こそが、結実率の壁を突破する鍵となったのです。

さらに、収穫されたカカオポッドから取り出された豆は、ライチのような甘酸っぱさを持つ果肉(パルプ)とともに、辻製油の工場内で約2週間におよぶ「発酵・乾燥工程」へと進みます。 

ショコラの香り・味わいの80%を左右すると言われるこの発酵工程では、微生物の作用を最適化するため、カイロやファンを用いて厳密に温度を管理(40℃以上を避け、25℃以下に抑える繊細なコントロール)。その後、カビの発生を防ぐため約1週間の丁寧な天日干し(乾燥)を経て、日本育ちの最高級カカオ豆が完成します。

3. 吉川美南ショコララボで魅せた、辻󠄀口博啓の「引き算の職人技」

三重で大切に育てられ、発酵を終えたカカオ豆は、埼玉県・吉川美南にある辻󠄀口シェフの大型ショコララボへと運ばれます。ここからの焙煎・製造工程には、トップパティシエとしての狂気的なまでのこだわりが詰め込まれていました。

① 90℃・1時間の「低温長時間焙煎」が生む「黄色の果実味」

通常のチョコレート製造では高温・短時間での焙煎が一般的ですが、それでは豆の青臭さが残る、あるいは焦げ臭がついてしまうリスクがありました。実験を重ねた結果、導き出した最適解は「90℃で1時間」という低温長時間ロースティング。

これにより豆の酵素活性を殺さず、VISON産カカオが持つポテンシャルと繊細な香りを最大限に引き出すことに成功しました。

この特殊なテロワールと焙煎により、豆からはバナナやマンゴー、さらにはパッションフルーツを思わせる、南国の華やかでフルーティーな黄色の果実香が爆発的に立ち上ります。

焙煎後は機械でハスク(外皮)を綺麗に除去し、純粋なカカオニブへと仕上げられます。

  

② 追油なし、100%シングルビーンズの手作業テンパリング

一般的な市販チョコレートでは、作業効率や口溶けを安定させるために外部から「カカオバター」や「植物性油脂」を途中で追加(追油)します。しかし、辻󠄀口シェフはこれを一切行いません。VISONで育ったシングルビーンズが持つ天然のカカオバター分のみでショコラへと仕上げます。

外部からの油脂を足さないチョコレート液は非常に粘性が高くドロッとした質感になるため、一般的な製チョコレート機械のノズルに通すことが困難になります。さらに今回は、5年間の結晶である発酵・乾燥豆が総量「9.4kg」という極めて希少なマイクロロット(少量生産)。大型の自動製造ラインに乗せること自体が物理的に不可能な数量であり、かつ素材の粘性を極限まで活かすため、辻󠄀口シェフのラボでは「完全なる手作業」を選択しました。

熱伝導の管理が極めて難しいステンレス等の器具を用い、熟練の職人が手作業で26℃〜30℃台の繊細な温度コントロール(テンパリング)を敢行。

機械に頼ることなく、一本一本丁寧に手詰めをして板チョコへと成形されます。

これこそが、余計なものを一切足さない引き算の美学であり、素材本来の個性をダイレクトに伝える究極の「FARM to BAR」モデルの姿です。

  

4. ペルー政府の評価と、三重県多気町×サン・セバスチャンの「美食都市連携」

このプロジェクトの凄みは、国内だけに留まりません。辻󠄀口シェフはこれまで南米ペルーのカカオ農園での経験や知見を本プロジェクトに還流させており、そのペルー産カカオの輸入実績と今後の活動に対する高い評価から、ペルー大使館より公式に名誉あるアワード(盾)を授与されました。現地の高級日系紙「ペルー新報」でも一面で大々的にスクープされるなど、国家レベルの注目を集めています。

さらに、カカオが育った三重県多気町(VISON)では、「発酵文化」をテーマにした世界的な食の街づくりを推進中。その先進的な取り組みが認められ、世界最高峰の美食の聖地であるスペインの「サン・セバスチャン市」との正式な美食都市提携(友好都市提携)が締結されました。サン・セバスチャン市長との面会を経て、象徴的な欄干が贈呈されるなど、グローバルな美食のネットワークが今、三重を中心に動き出しています。

今後はペルー政府ともさらなる連携を強化し、良質なカカオ苗の導入や畑の拡大、さらにはペルーのトップレストランが実践している「発酵中にレモンやお茶を加える独自研究」などを国産カカオ栽培にも応用していく計画も構想にあるとのこと。

  

未来への知恵:日本のショコラ文化とものづくりの未来へ

VISON内「LE CHOCOLAT DE H」にて

2026年6月24日、ついにその全貌がお披露目された特別なショコラ『LE CHOCOLAT DE H「VISONカカオ」』は、今後VISON内のショコラトリーにて限定販売される予定。

VISON内「LE CHOCOLAT DE H」

しかし、この「国産ショコラ完成」は、単なるプレミアムな新商品の誕生ではありません 。それは、これまで原料のすべてを海外からの「輸入」に頼り切っていた日本のチョコレート文化が、「自らの手でゼロから生み出す技術と知恵」を手に入れた歴史的な転換点です。

カカオショックという世界的な危機に対し、このプロジェクトが提示した知恵は、これからの日本の食文化やものづくりの未来に大きな示唆を与えてくれます。

・「受粉を媒介する虫がいない」という本土の環境を言い訳にせず、扇風機やハケを駆使して結実させた飽くなき探求心

・海外の常識を鵜呑みにせず、日本の精密な「発酵・温度管理」でカカオのポテンシャルを制御した辻製油の技術力

・効率のための追油を一切排除し、シングルビーンズの個性を引き出すために完全手作業を貫いた辻口シェフの職人魂

これらはすべて、私たちがこれから「日本の食の未来」を語り、次の世代の職人たちへ技術を紡いでいくための巨大な「知恵の灯台」となります。

チョコレートとは、単なる工業製品や嗜好品ではなく、地域の風土(テロワール)と人間の知恵が織りなす「文化」そのもの。南米ペルーの伝統、スペイン・サン・セバスチャンの美食精神、そして三重県多気町の風土と日本の技術が、吉川美南のラボで一つに溶け合いました。

LE CHOCOLAT DE H 吉川美南 ラボ

この国産ショコラ誕生の奇跡と、そこに隠された「知恵のバトン」を、私たちは日本の食文化の新たな夜明けとして、心から祝福し、誇りに思わなければなりません。