
モンブランを愛する人々を“モンブランニスト”と名付け、モンブランを生み出すパティシエ、そして原材料となる栗を育てる生産者――この三者をつなぎ、日本におけるモンブラン文化の発展と普及を目指して活動する日本モンブラン協会。
スイーツコンシェルジュであり、日本モンブラン協会の会長を務める大坪直哉さんに、幼少期のモンブランとの出会いから、衝撃を受けたモンブランの体験、協会設立に至るまでの歩み、さらにはモンブランを取り巻く現状と未来の展望について伺いました。
モンブランがこれからも多くの人に愛され続けるために、今、何ができるのか――大坪さんの情熱とともに、その答えを探ります。
撮影:日本スイーツ協会 写真提供:日本モンブラン協会
モンブランとの出会い――幼少期から続く“唯一無二のスイーツ”への愛
――まずは子どもの頃にスイーツとの思い出について、当時を振り返って教えていただきたいと思います。70~80年代は今のようにコンビニでケーキが買える時代ではなく、クリスマスや誕生日など特別な日に食べるのが一般的でしたよね。そんな中で、初めてモンブランを食べたときの記憶や感想はいかがでしたか?
大坪 子どもの頃は、今のようにケーキが日常的に食べられるものではなかったと思います。どちらかというと、晴れの日に食べるものという印象ですよね。でも、僕は子供の頃からケーキといえばモンブランしか食べてこなかったんです。
――大坪さんの幼少期(1970年代)、ケーキ屋さんのショーケースにはどのようなケーキが並んでいましたか?
大坪 いちごのショートケーキやチョコレートケーキ、シュークリーム、プリン。それから、メロンをスライスしてのせたショートケーキなんかもありましたよね。一般的な洋菓子店にはいろいろな種類が並んでいたと思うんですが、なぜか僕はモンブランしか食べなかったんです。
――当時のモンブランといえば、いわゆる昭和の黄色いモンブランですよね。
大坪 そうですね。くるくるっと巻かれたクリームの上に黄色い甘露煮がのっている、まさに定番の形のやつですね。モンブランのルーツには諸説ありますが、自由が丘の「モンブラン」が発祥とも言われていますし、実は原宿の「コロンバン」の方が早かったという説もありますが……。僕はそのモンブランがすごく好きだったんです。
――そもそも栗がお好きだったとか?
大坪 栗も好きですね。子どもの頃、僕は「栗虫になりたい」って言っていたらしくて(笑)。自分ではあまりその記憶がないんですが。
でも、なぜそんなにモンブランにハマったのかというと、もしかすると、1つ年下の妹との争いを避けるためだったのかもしれません。女の子はだいたいショートケーキとか、ファンシーな感じのものが好きですよね。だから、生存戦略として、彼女と競争しなくて済むように、潜在的にモンブランを選ぶようになったのかもしれません。
でも、実際に食べてみたらめちゃくちゃおいしくて、そこからは完全にモンブラン一択になりました。普通、親はケーキを買うときに「何が食べたい?」と聞きますよね。僕も自分の子どもにはそうしています。でも、僕の親はまったく聞かなくなったんです。「とりあえずモンブランを買っておけば大丈夫」みたいな感じで(笑)。そんな子供時代でしたね。
――モンブランの好きなポイントはどこでしたか?
大坪 やっぱり栗の旨味ですね。幼少期はまだボキャブラリーがなかったので、「旨味」なんて言葉で認識していたわけではないと思いますけど、純粋に「おいしい!」と感じていました。
――昭和の黄色いモンブランが一般的だった中で、昭和後期(1984年)の「アンジェリーナ」日本上陸をきっかけに、茶色いモンブランが徐々に広まっていきました。大坪さん自身も、「衝撃を受けたモンブラン」との出会いがあり、その経験が日本モンブラン協会設立の背景にあるのではないでしょうか?
大坪 日本モンブラン協会を立ち上げるに至るまでには、いくつかの段階があったように思います。もちろん、特定のモンブランを食べたことが直接のきっかけになったわけではないのですが、「衝撃を受けたモンブラン」という意味で言うと、まず思い浮かぶのが「小布施堂 えんとつ」のモンブラン朱雀です。

このモンブランは、新栗の時期にしか提供されないため、とにかく香りが素晴らしいんです。しかも、購入のプロセスも面白くて、まずネットで予約します。その際、いつの何時の回で、どの席にするかまで指定するんです。予約が完了すると、ファミリーマートのファミポートでチケットを発券して、お店へ向かう。なので、これはもう<ライブ>なんです。ある年に行ったときには「本年度のモンブラン朱雀は完売しました」という看板が出ていて、「モンブランって完売するの!?」と驚きました。予約していない人は食べられないんです。そんなに特別なモンブランがあるんだ、ということを初めて知ったときは、すごく衝撃的でした。
さらに、実際に食べてみると、やはりその場で注文を受けてから栗を絞るので、香りも素晴らしいんです。僕は以前から、モンブランの主役である栗という食材には“熱を持つ”特性があると考えています。その熱っぽさというか、少し重たく感じるような“もたつき”があるので、そこを別のベクトルに引っ張ってあげないと、どうしても途中で食べ飽きてしまうことがあると思うんです。
だからこそ、最近のおしゃれなモンブランにはカシスやベリー系の酸味を添えることが多いのですが、モンブラン朱雀を食べたときに、熱っぽさを冷たいもので別のベクトルに引っ張る方法もあるのだと学びました。実際、中にはセミフレッドのアイスクリームが入っていて、栗のもたつき感を冷たいアイスで和らげるという小布施堂の手法は、とても素晴らしいと思いました。
それまで僕は、モンブランを単に“お店で売られているものを食べるもの”としか捉えていませんでした。でも、新栗を使ったモンブランを、その時期ならではの特別な方法で味わうという体験は初めてで、本当に感動しましたね。
――他にも衝撃を受けたモンブランはありますか?
大坪 たくさんありますが、もう一つ挙げるとすれば、「Masahiko Ozumi Paris」 の Zabuton モンブランですね。これまで僕らがイメージするモンブランとはまったく異なる形をしていて、「え、これがモンブランなの?」と思うようなビジュアルなんです。本当に名前の通り、座布団のような形をしているんです。

小住匡彦シェフにインタビューしたことがあるのですが、建築学科を卒業されているんですよね。だからこそ、CADなどの設計ツールを使って考えるノウハウを持っていて、シリコンで型を取ってフォルムを作り上げている。本当に、建築を学んだ方ならではのアプローチから生まれたモンブランなんですよね。あれを初めて見たときは、本当に衝撃を受けました。
今では阪急百貨店にも入っていますが、当初は小住シェフのお父さんが洋菓子店を経営されていて、パリから帰国したときに、お父さんのお店で月に1回ほどモンブランを提供していたんです。その時はすごい行列で、僕も並びました。
ただそのモンブランを買うためだけに大阪へ行って、飛行機で持ち帰る。しかも、僕の横の席には、シートベルトを締めたモンブラン(笑)。そんな体験もしましたね。
さらにもう一つ、思い出に残るモンブランがあります。日本モンブラン協会を立ち上げたのは冬だったのですが、もともと僕はバックカントリースノーボードが好きで、よく北海道に行っていたんです。そのとき、せっかくだからと、札幌のミシュラン一つ星の「フレンチレストラン banquet(バンケット)」を予約しました。予約時のコメント欄に「日本モンブラン協会設立記念のため」と書き添えていたのですが、お店に行くと、その日のコースメニューに「モンブラン」と書かれていたんです。最初は偶然かなと思っていたのですが、尋ねてみると、シェフが「大坪さんが日本モンブラン協会の会長なので、特別にモンブランを作ることにしました」と。なんと、ミシュランの調査員が来るときよりも緊張したそうです(笑)。

そのモンブランは、冷たいアイスクリームの上に、柔らかく溶いた栗のペーストがかけてあって、仕上げにエディブルフラワーのスミレが添えられていました。見た目も美しく、本当に僕のために作ってくれた特別なモンブランだったので、僕の中で今でも忘れられない思い出です。
――どのエピソードもとても印象的ですね。モンブランというスイーツが、特別な出会いや体験を生み出してきたことがよく伝わってきます。では次に、日本モンブラン協会を立ち上げたきっかけについてお聞かせください。
大坪 きっかけはコロナですね。コロナ禍では“死”がすぐそばにあるような状況になり、誰もが自分の人生を見つめ直さざるを得なかったと思います。僕自身も、本当にやりたいことは何だろう?と考えるようになりました。
もともとモンブランが大好きで、飲み会の席では冗談で「モンブラン協会会長です」なんて言っていたんですが、コロナになってふと、もし誰かが本当にモンブラン協会を立ち上げて、会長をやっていたら嫌だなと思ったんです(笑)。
それで、特許庁のホームページで商標登録を調べてみたら、まだ誰も登録していなかった。これはもうやるしかないと思い、すぐに行政書士に相談して商標登録を済ませました。そこから、本格的にモンブラン協会の活動を始めたんです。
それまでもモンブランはよく食べていましたが、特に記録を取ったり、記事を書いたりはしていませんでした。でも、コロナという大変な時期を経て、自分にとって本当にやりたいことは何なのか?と改めて考えるきっかけになりました。きっと、同じように気づきを得た人も多かったのではないかと思います。
――活動としては、モンブランに関する情報を集め、ご自身で記事を書かれていますが、他にはどのようなことをされているのでしょうか?
大坪 協会のミッションとしては、消費者・パティシエ・栗農家のハブとなる存在を目指しています。もちろん、消費者の方においしいモンブランのお店を紹介するのも大切な役割ですが、それだけでなく、もっと深い部分でモンブラン文化を支えていきたいと思っています。
その活動のひとつがパティシエへのインタビューです。先日、「Pâtisserie Chocolaterie Recit(レシィ)」の寺﨑貴視シェフにインタビューさせていただいたのですが、世の中には、本当に素晴らしいモンブランを作るパティシエがたくさんいます。その方々がどんな思いでモンブランを作っているのかを取材し、記事として発信することで、モンブラン好きの方々にもその背景を知っていただけたらと思っています。

ただ単に食べるのではなく、作り手のストーリーを知ることで、モンブランがさらにおいしく感じられるのではないかと考えています。
そして、記事を読んだ方がそのお店に足を運ぶきっかけになれば、パティシエやパティスリーにとっても、とてもポジティブなことだと思っています。
さらに、モンブランの原材料である栗を生産している栗農家さんの現状や課題を知り、解決の手助けをしていくことも、今後取り組んでいきたいことの一つです。
日本の栗の生産量は年々減少しています。その背景には、農家さんの高齢化や、栗農業がビジネスとして成り立ちにくいという課題があります。作業は大変なのに収益があまり見込めないため、新たに就農する人が増えず、結果として農地が放棄されるケースも少なくありません。
こうした問題に対して、日本モンブラン協会として何か解決のお手伝いができればと考えています。
農家さんの現状を取材することに加えて、今年ぜひやりたいと思っているのが、栗の収穫や皮むきの作業を体験できる機会を作ることです。
具体的には、日本モンブラン協会のホームページで参加希望者を募り、実際に栗農家さんのもとへ行って、一緒に作業を体験してもらう。そうすることで、「栗がどのように育ち、自分たちの手元に届くのか」をリアルに知ることができるんじゃないかと思っています。
そのプロセスを体験することで、モンブランを食べるときの感じ方や意識が変わるんじゃないかと思いますし、そんな活動ができたらいいなと考えています。
――現在、モンブランに使われる栗はイタリアやスペインなどの海外産が多いですが、輸入コストが年々上昇しています。一方で、国産栗は品質も味も優れていますが、生産を支える環境を整えなければ、将来的にはモンブランを食べられなくなってしまう可能性もありますよね。
大坪 まさにそれは、今チョコレート業界で起こっていることなんですよね。なので、いずれンブランの世界でも同じようなことが起こる可能性があると思っています。
カカオの価格がここ数年で急騰しており、その背景には異常気象や温暖化に加え、政治的な要因もあります。生産量の減少に伴い、チョコレートの価格が上がり続けていますが、モンブランの原材料である栗も、同じような状況に直面するかもしれません。
実際、すでにケーキ全体の価格が上昇したり、サイズが小さくなったりしていますが、この流れが今後さらに加速するかもしれません。今後10年の間に、モンブランが“高級品”になり、気軽に楽しめなくなる日が来るかもしれない。だからこそ、何かしらアクションを起こさないと、僕たちが今大好きで楽しんでいるモンブランが、いずれ食べられなくなったり、すべて外国産に置き換わってしまったりする可能性もありますよね。

――和栗のモンブランが増えたことで、日本の産地にも注目が集まるようになりました。栗フェスのようなイベントを開催することで、産地から盛り上げる活動も広がっていますよね。
大坪 そうなんですよ。昨年、熊本県山鹿市で開催された「全国モンブラン大会2024」を取材しに行ったんですが、この大会は産地主導で、茨城県笠間市、長野県小布施町、静岡県掛川市、岐阜県恵那市、京都府京丹波町、高知県四万十町、熊本県山鹿市が連携して開催していました。

こうした取り組みはとても新しくて面白いですし、日本モンブラン協会としてもぜひサポートしたいなと思いました。大会自体は手作り感があって温かみがあり、とても良かったんですが、一方であまり広く認知されていないように感じたので、プロモーションの部分でお手伝いできることがあるのではと考えています。
また、そのフェスには一般のお客さんはたくさん来ていたんですが、商談会のような場はほとんどなかったんですよね。商談の場があれば、各産地の栗を一度に試せる機会になりますし、栗のペーストやシロップなどを比較して、「これ2トンください」といった具体的な取引にもつながるはずです。そうすれば、産地にとっても大きなビジネスチャンスになりますよね。
――パティシエにとっても魅力的な機会になりそうですね。実際に産地ごとの栗の違いを比較できる場があれば、新たなモンブラン作りのヒントにもなりそうです。
大坪 最近、僕が注目している栗の品種に「美玖里(みくり)」というものがあります。まだ生産量が非常に少なく、取り扱っているパティスリーも限られていますが、香りが素晴らしいんです。
例えば、赤坂の「Libertable(リベルターブル)」では、フランス産の栗、京都の丹波栗、そして美玖里を使った3種類のモンブランを提供しているのですが、それぞれ個性があり、中でも美玖里の香りは際立っていました。
今年、熊本の山鹿で開催されたモンブラン大会に行った際、美玖里を生産している農家さんとつながることができたので、ぜひ取材に行きたいと思っています。ただ、本当にまだ栗の木の本数が少なく、生産規模はごく限られているそうです。
こうした新しい品種をどう展開していくか、そしてまだ知らないパティシエの方々に広めていくことも、日本モンブラン協会として取り組んでいきたい課題の一つだと考えています。
――自治体の協力がないと、なかなか活動を広げるのは難しそうですね。実際に、自治体によってはパティシエ向けの体験会や農家訪問、レシピコンテストなどを開き、少しずつ認知を広げているところもあります。大坪さんが今後力を入れたいと考えているのも、そうした“人と人をつなげる”取り組みということでしょうか? それに対して、日本スイーツ協会と一緒に進められることはありますか?
大坪 そうですね。やはり辻口博啓シェフ(日本スイーツ協会代表理事)の圧倒的な影響力をぜひお借りしたいという思いがあります。
僕が夢として持っている構想のひとつに、仮の名前ですが「モンブランキッチン」というものがあります。イメージとしては『料理の鉄人』(1990年代にフジテレビ系列で放送されていた料理バラエティ番組)のような空間で、いくつかのキッチンが並び、そこに違うパティシエの方々が集まる。例えば、3つのキッチンがあれば3つのパティスリーが参加し、その場で出来たてのモンブランを提供するというものです。
モンブラン好きな消費者、モンブランニストの方々は、そこで3種類の異なるモンブランを食べ比べられる。これが月替わりなのか、週替わりなのか、特定のイベントとして開催するのかはまだ決まっていませんが、各地のパティスリーを巡らなくても、一箇所でトップパティシエのモンブランをフレッシュな状態で楽しめるというのは、これまでになかった取り組みかなと思っています。
もし日本スイーツ協会さんとコラボレーションできれば、今モンブランというコンテンツが非常に注目されている中で、日本スイーツ協会さんにとっても大きなマーケティング施策になり得るのではないかと思っています。こうした企画が実現できたら面白いですね。
――そうですね! では、そろそろインタビューの締めくくりとしてお伺いします。大坪さんにとって、モンブランとはどんな存在でしょうか?
大坪 モンブランはパティシエのセンス、スキル、想像力次第で無限に形を変えられるスイーツなんですよね。それがモンブランの最大の面白さだと思っています。
そして、そのバリエーションの豊かさが、これだけ多くの“モンブラン好き”を生み出している理由なんだと思います。実際、栗をテーマにしたフェスやモンブラン関連のイベントに行っても、人がいないところを見たことがありません。それだけ多くの人を惹きつける魅力が、モンブランにはあるんですよね。
もうどこも大盛況ですよね。やっぱりモンブランはいろんなバリエーションがあるから、食べる側にとっても楽しいんですよ。「このお店とこのお店では、こう違うんだ」と感じながら味わえるのは、モンブランならではの魅力だと思います。
さらに、モンブランは栗という農産物を使っている点も特徴的で、食べる人は意識していないかもしれませんが、どこかで“生産者とのつながり”を感じられるケーキなのではないかと思っています。そんなところも、モンブランの特別な魅力の一つですね。
昔はそこまで意識されていなかったと思うんですが、今では中津川の栗、笠間の栗といった産地を前面に打ち出したモンブランが増えていますよね。
だから、食べながら「やっぱり笠間の栗はこういう味だよね」と話しながら楽しんでいる人も多いと思うんです。そういう風に、ローカルとのつながりを感じながら食べられる、珍しいケーキなんじゃないかと思います。
それこそがモンブランの可能性のひとつであり、だからこそこのモンブランを通じて、栗の産地や農家の方々とのつながりをもっと深めていきたい。
そして、そのきっかけを与えてくれるのが、まさにモンブランという素晴らしい食べ物なんじゃないかなと思っています。

――最後に、モンブランニストやスイーツファンに向けて、今後どのようにモンブランを楽しんでほしいですか? メッセージをお願いします。
大坪 これは先ほどお話ししたことにもつながるのですが、僕たちが今愛してやまないモンブランが、10年後には食べられなくなってしまうかもしれないんです。
実際に、栗農家の平均年齢は65歳とも言われていて、作り手の方々が高齢化する一方で、新たに就農する人が少なくなっています。僕らは「おいしい!」と楽しんでいますが、その裏では農家さんが大変な苦労をされながら栗を作っているという現実があるんですよね。
だからこそ、食べるだけじゃなくて、自分たちにできることはないか?と、ぜひ考えてみてもらえたら嬉しいです。もちろん、「大好きなモンブランをこれからも食べ続けたい!」という思いからの行動でも全然いいんです。
例えば、栗農家さんのもとへ行って収穫や栗剥きを手伝うのも一つの方法ですし、技術面からサポートすることも考えられます。最近はパワースーツのようなサポート機器も発展していますよね。もし栗農家さん向けに最適化したパワースーツがあれば、高齢の農家さんでも負担を減らして作業ができるようになり、生産量を維持・拡大できるかもしれません。
こうした気づきや新しい視点を、モンブラン協会を通じて発信していきたいと思っています。ぜひ、皆さんにもリアクションしていただき、一緒にモンブランを未来につなげるアクションを考えていけたら嬉しいですね。
――ありがとうございました。
モンブランへの深い愛から、日本モンブラン協会を立ち上げた大坪直哉さん。パティシエや生産者の想いに触れる中で、モンブランの魅力をより多くの人に伝え、未来へつなげることの大切さを実感しています。「モンブランをどう広め、守っていくのか?」――会長の大坪さんをはじめ、モンブランニストの思いと行動が、これからどのように形を成していくのか。その展開に期待が高まります。


日本モンブラン協会会長:大坪 直哉
日本で最もモンブランを食べる男。日本スイーツ協会 スイーツコンシェルジュ。アンタッチャブル柴田英嗣、矢口真里出演のTOKYO MX『ええじゃないか!』でMCを務める。モンブランを食べまくる一方でボディメイクも行い、ベストボディジャパン2024年富山大会では準グランプリを獲得。