[佐藤ひと美のスイーツレポート356]2026年バレンタイン回顧録:「深化」する愛と「進化」する形。ショコラはどこへ向かうのか

2026年のバレンタイン。カカオ豆の歴史的高騰、そして「義理チョコ」文化の完全なる終焉。かつての「お祭り」は、よりパーソナルで、よりクリエイティブな「自己研鑽と情熱の場」へと姿を変えた。現場を歩き、シェフたちの声を聞いた私が見た、今年の真実を綴りたい。

「適正価格」という名の覚悟

今季、私たちの前に並んだショコラの価格は、数年前とは別次元のものだった。しかし、それを「インフレ」の一言で片づけるのは、ジャーナリズムの怠慢だろう。

2026年、チョコレート1粒あたりの平均価格は436円(税込)に達し、前年比で約4%以上、2年連続で過去最高を更新した。 この数字の背景には、ニューヨークやロンドンの市場価格が1トンあたり2,500ドルから6,000ドル規模へと跳ね上がったカカオ豆の歴史的高騰がある。気候変動による供給不足は深刻で、もはや「安いショコラ」は誰かの犠牲なしには成立しない時代となったのだ。

しかし、真の「エビデンス」はコスト増だけではない。世界を牽引するトップメゾンが見せた動向は、この価格上昇を「搾取ではなく、未来への投資」へと昇華させるための挑戦であった。

LA MAISON DU CHOCOLAT(ラ・メゾン・デュ・ショコラ):パリのエレガンスと「アロマの科学」

1977年、伝説のショコラティエ、ロベール・ランクス氏によってパリで産声を上げた「ラ・メゾン・デュ・ショコラ」。現在はM.O.F.(フランス国家最優秀職人章)保持者であるニコラ・クロワゾー氏がその哲学を継承し、世界中の美食家を魅了し続けています。

「ガナッシュの魔術師」の異名を持つこの老舗メゾンは、2025年秋、東京・高輪にブランド史上最大規模のコンセプトショップを、そして西武池袋に世界初のカフェ併設型サロンを相次いでオープンさせた。

この日本への集中的な投資を経て、ブランドが2026年の新作で示したのは、ショコラにおける「アロマの解像度」の極致である。

M.O.F.(フランス国家最優秀職人章)保持者であるニコラ・クロワゾー氏は、創業者ロバート・ランクスへのオマージュを込めつつ、2027年のブランド誕生50周年に向けて、ガナッシュを「香りの構造体」へと再定義した。

ディオールの香水の香りからインスピレーションを受け考案した、ラ・メゾン・デュ・ショコラ 西武池袋 サロン限定ボックス「オリジナル・ボックス・4粒入りーパルファン」は印象的だった。

特筆すべきは、香水を彷彿とさせる多段階の香りの変化だ。蒸気を用いて素材の純粋なエッセンスを抽出する製法や、コショウのスパイス感を「刺激」ではなく「奥行き」として昇華させるバランス感覚。それは、200種類以上の試作を経て20作品にまで磨き上げるという、途方もない試行錯誤の結晶である。

一粒700円を超える価格の正体は、単なる材料費ではなく、パリの建築美にも似た緻密な設計と、素材の個性を引き出すための「技術的資産」への対価といえるだろう。

ニコラ氏が体現するこの「技術によるアロマの極致」という進化。それと対をなすように、もう一つの大きな「進化」を提示したのがピエール マルコリーニ氏だ。彼は、ショコラの美味しさを支える「根源」――すなわちカカオ農家との関わりにおいて、倫理的かつ情熱的な深化を見せてくれた。

PIERRE MARCOLINI(ピエール マルコリーニ):日本上陸25周年の「誠実」と、カカオの「正当なる価値」

マルコリーニ氏が今季掲げたテーマは「Merci du fond du cœur(心からありがとう)」。25周年という四半世紀の節目に彼が選んだのは、華美な装飾ではなく、自らが旅して出会った日本の生産者への敬意と、ショコラの原点であるカカオ農家への深い慈しみだった。

特に今季、私がインタビューを通じて最も衝撃を受け、深く考えさせられたのは、彼が語った「カカオの価格に対する根源的な問い」である。

「1トンあたり2,500ドルの時代、私たちは本当に正しい対価を支払っていたと言えるだろうか」

マルコリーニ氏は穏やかな口調ながら、日本のジャーナリスト達に鋭い視線でそう問いかけた。ニューヨークやロンドンの市場価格が6,000ドル規模へと高騰する中、世間が「値上げ」に悲鳴を上げる一方で、マルコリーニ氏は全く別の景色を見ている。 「これまでの低価格は、農家が家族を養い、子供に教育を受けさせ、次の世代へ農園を繋ぐための再生産コストを無視した結果だったのではないか。2,500ドルでは、彼らは生きていくことすらできなかったのです」

この言葉は、ショコラを単なる「甘い贅沢品」として享受してきた私たちの無意識の加害性を浮き彫りにする。

マルコリーニ氏によれば、農家が自立し、誇りを持ってカカオを栽培し続けるためには、最低でも1トンあたり3,500ドルから4,000ドルの対価が必要だという。つまり、現在の高騰は不当な吊り上げではなく、歪んでいた歴史が、ようやく正常な重力へと戻ろうとしている過程なのだ。

その哲学を具現化したのが、新作『ガナッシュ ピュール コンゴ』である。

ピエール マルコリーニが日本の「生チョコ」から着想を得て生み出した、ガナッシュのフレッシュさをダイレクトに楽しめるアソート「ガナッシュ ピュール」

1粒あたり約700円。その価格の内訳には、コンゴ民主共和国のビルンガ国立公園周辺で、ゴリラなどの野生動物を保護しながらカカオを育てる農家への、直接的な支援が含まれている。

「カカオ農園の仕事は、すべてが手作業の重労働です。馬の背に豆を載せて運ぶ彼らの姿を思い浮かべてほしい。もし、私たちが正当な価値を支払わなければ、次の世代は農園を捨て、村を去ってしまうでしょう。カカオがこの世から消える。それは気候変動のせいだけではなく、私たちの『選択』の結果なのです」

私たちが店頭で支払う平均単価436円という数字。それは、単に自分の味覚を満たすための代金ではない。マルコリーニ氏の言葉を借りれば、それは地球の裏側にある森を守り、名もなき生産者の人生を支えるための「一票」なのだ。

25周年という記念すべき年に、彼は日本の越前和紙や和の食材を使いながら、同時に「ショコラの命」であるカカオの尊厳を私たちに突きつけた。一粒を口に含むたびに、鼻に抜ける力強いカカオの香りは、彼が旅した世界中の農園の土の匂いであり、彼が愛した日本への感謝の証でもある。

「心から、ありがとう」 その言葉の宛先には、日本の顧客だけでなく、私たちがその一粒を手に取ることで救われる、遠く離れた地の生産者たちも含まれているに違いない。

マルコリーニ氏が提示した「一粒のショコラに正当な対価を払う」という選択。それは、私たちがカカオという文化を守り、共に歩むための「パトロン」になることを意味している。

しかし、この「カカオの尊厳」を追求する流れと対をなすように、2026年のバレンタイン市場を大きく揺さぶったもう一つの潮流がある。それが、カカオ豆を原料から外す、あるいは最小限に抑える「脱カカオ(ノンカカオ)」商品の台頭である。

[佐藤ひと美のスイーツレポート351]髙島屋のバレンタインデー 2026「アムール・デュ・ショコラ」で紹介した”次世代素材「アノザ®M」”を使ったショコラもその一つだ。

マルコリーニ氏が「カカオ農家の未来」を憂いたその同じ熱量で、日本の食品産業やフードテック企業は、カカオ高騰という不可避の現実に向けた「テクノロジーによる回答」を突きつけていたのだ。

「チョコか、チョコ以外か」――2026年に現れた二分化の正体

かつてはアレルギー対応や安価な代用品として扱われていた「脱カカオ」商品は、2026年、全く新しい「高付加価値スイーツ」としての地位を確立した。

テクノロジーによるアロマの再現: ひまわりの種や、廃棄されるはずの果実の種子をアップサイクルし、独自の焙煎技術でカカオ特有の香ばしさや口どけを再現した「オルタナティブ・ショコラ」。これらは、カカオ価格に左右されない安定した供給と、環境負荷の低減を掲げ、都市部の感度の高い層から「スマートな選択」として受け入れられた。

日本独自の「脱カカオ」の解釈: 特に印象的だったのは、コーヒー豆そのものをショコラの製法で練り上げた「コーヒー・ショコラ」や、日本の発酵技術を駆使して大豆からチョコレートの風味を引き出した製品だ。

[佐藤ひと美のスイーツレポート353]2026年そごう・西武のバレンタインは「チョコか、チョコ以外か」!で紹介した、カカオを使わずに「コーヒー豆を食べる」という、これまでの常識を覆す大胆な<MOKABLE(モカブル)>

これらはもはや「カカオの不在」を嘆くためのものではなく、カカオでは到達できない新しいアロマを提案する「独立した嗜好品」へと進化を遂げていた。

2026年、消費者が突きつけられた「二つの愛」

ピエール マルコリーニやラ・メゾン・デュ・ショコラが守ろうとした「カカオという純血の文化」への敬意か。あるいは、カカオという物理的な制約から解き放たれ、テクノロジーがもたらす「新しい快楽」を享受する自由か。

私たちは今、チョコレートという言葉の定義が二分される、歴史的な転換点に立ち会っている。

一粒436円を超える「本物のカカオ」が持つストーリーに投資するのか、あるいは「カカオを使わない」という新しい合理性に一票を投じるのか。

2026年のバレンタインが始まる前、業界を騒がせた「脱カカオ」という言葉。それは単なる危機感の表れではなく、ショコラという文化が、その形を大きく変えながらも、次世代へと生き延びようとする「生命力の証明」でもあるのだと感じた。

カカオの尊厳、そしてテクノロジーが導いた脱カカオの選択肢。それらが交錯する2026年の市場において、もっとも顕著に現れた現象が、長年危惧されてきた「ある言葉」の正体だ。

「ボンボンショコラ離れ」という名の誤解

今季、一部のメディアや業界内で囁かれた「ボンボンショコラ離れ」。価格の高騰が消費者の足を遠のかせたという言説だ。しかし、実際に各催事会場を巡り、熱狂する人々の視線を追って感じたのは、それは決して「離れ」などではなく、より研ぎ澄まされた「厳選」へのシフトだった。

一粒500円を超えるのが当たり前となった今、消費者はかつてのような「なんとなくな10個入り」を買うのを明確にやめた。その代わり、「どうしてもこのシェフの、この一粒が食べたい」という強い動機に基づく指名買いが、かつてない熱量で加速しているのを、さまざまなバレンタインシーズンの催事会場に訪れ、お客様の動向やシェフに話を伺い、身にしみて感じたのだ。

二極化の進行:情緒と合理の分岐点

市場は今、極端な二極化の真っ只中にある。 一つは、1,000円台で手に取れるカジュアルな「焼き菓子系ショコラ」。高騰するカカオを粉末やチップとして巧みに使い、ボリュームと満足感を両立させた、デイリーな幸福だ。 そしてもう一方は、1万円を超えるショコラのアソート。特に、複数のスターシェフが一粒ずつを寄せ合うセレクションBOXは、もはや菓子ではなく、2026年という時代を切り取った「アートの目録」として、感度の高いコレクターたちの手に渡っていった。

株式会社 三越伊勢丹ホールディングスによる「~パリ発、チョコレートの祭典~ サロン・デュ・ショコラ 2026」でのセレクションBOXは、中でも毎年即完売という注目度の高さを窺える。

中途半端な価格帯が淘汰され、「日常の合理」か「至高の情緒」か、その選択肢が剥き出しになったのが今年の象徴といえる。

海外ブランドが突きつけられた「選別」の踏み絵

この凄まじい二極化の波は、海を越えてやってくるインポートブランドにとっても例外ではなかった。むしろ、輸送コストと円安の重圧にさらされる彼らこそが、最も過酷な「選別」の場に立たされていた。

「至高の情緒」への振り切り:一切の妥協を捨てて「高価格帯(1万円超)」へ、ショコラを「食べる宝石」から「所有すべきアート」へと昇華させたのが、パトリック・ロジェ、ベルナシオン、そしてマキシム・フレデリックといったハイエンドな造り手たちである。

パトリック・ロジェは 「味の彫刻家」の異名通り、エメラルドグリーンのボックスに収められたドーム型ショコラは、もはや一粒単位の「作品」。円安の逆風をものともしない圧倒的な指名買いを誘発した。

リヨンの伝統を頑なに守るベルナシオンの自社製クーベルチュールの重厚感によるタブレットやボンボンショコラのアソートは、一箱1万円を超えてもなお、「この店でなければならない」という唯一無二のブランド力を証明した。

そして今季、最も羨望の眼差しを集めたのが、マキシム・フレデリックによる『プランクール』だろう。

日本においても大きな話題となったこのショコラは、決して既存のラグジュアリーブランドの傘下(シュヴァル・ブラン・パリのパティスリーを統括し、世界最高峰のパティシエと目される彼が、単なるブランドの枠を超え、個の技術と美学を極限まで投影した工芸的ショコラ)にあるものではなく、マキシムという一人の天才パティシエが自らの名を懸けて世に放つ、純然たる独立したアートピースである。

精巧なモノグラムや幾何学的な造形美、その一箱に数万円を投じる人々が求めていたのは、どこかのメゾンのロゴではない。マキシム・フレデリックという個人が保証する「至高の情緒」と、彼の手から直接生み出される「魂の震え」そのものだ。この領域において、価格はもはや比較対象ではなく、その価値と希少性を際立たせるための必然的な要素に過ぎなかった。

体験への投資:五感で消費する「刹那」の芸術

また、物理的な「箱」に閉じ込められた静止したショコラよりも、その場でしか味わえない「体験」への投資に行列が集中したことも見逃せない。2026年の催事会場は、もはや販売所ではなく、シェフと消費者が火花を散らす「ライブハウス」へと変貌していた。

「賞味期限、数分」という贅沢 

[佐藤ひと美のスイーツレポート351]髙島屋のバレンタインデー 2026「アムール・デュ・ショコラ」で紹介した”目の前で咲く、一輪の奇跡。マキシム・フレデリックが描く「劇場型デセール」”

象徴的だったのは、シェフがゲストの目の前で仕上げる「アシェット・デセール(皿盛り菓子)」への熱狂だ。 これらは、箱詰めされたショコラでは決して到達できない「香りのピーク」を、文字通りその瞬間に捕まえる体験である。

一皿数千円という価格は、もはやデザートへの代金ではなく、シェフが設計した「香りの絶頂期」に立ち会うための入場料なのだ。

「今、ここ」にしかない価値へのシフト 

なぜ、人々は箱よりも「体験」に並ぶのか。それは、SNSで画像が溢れかえる時代において、唯一コピー不可能なものが「自分の舌で、その瞬間にしか味わえない温度と香り」だからだと思う。

株式会社 三越伊勢丹ホールディングスによる「~パリ発、チョコレートの祭典~ サロン・デュ・ショコラ 2026」Part3 ナオミ ミズノにて

2026年、私たちは気づいた。最高級のボンボンショコラを一粒ずつ大切に持ち帰る幸福がある一方で、シェフの指先から生み出されたばかりの、一分後には形を失ってしまうような「刹那の芸術」を喉に流し込む背徳的な悦びがあることを。 

この「体験への投資」の加速は、ショコラが単なる「モノ」から、記憶に刻まれるべき「コト」へと、完全にステージを変えたことを物語っている。

2026年のバレンタインを象徴する動きは、具体的なブランドの戦略だけではない。

市場全体を貫いた潮流を、2つのキーワードに集約。単なる流行ではなく、高騰するカカオ価格と、成熟した日本の消費者の感性がぶつかり合って生まれた「必然」の形になっている。

今年の2大トレンドキーワード

・Aroma Japonais(アロマ・ジャポネ):深化する「和」のレイヤー

かつての「抹茶」や「柚子」といった分かりやすい素材の活用は、もはや過去のものとなった。2026年は、「芳香の層(レイヤー)」を重ね、目に見えない香りを魂に響く味覚へと変換する圧倒的な表現力が印象的だった。

その筆頭が、エスコヤマの小山進氏が発表した「SUSUMU KOYAMA’S CHOCOLOGY 2025 Echoes of the Inner World ― 内なる世界の残響 ―」である。

小山シェフは、天才調香師フランシス・クルジャンが手掛けた4つの香水との邂逅から、一ヶ月以上にわたりその香りの構造を味覚の旋律へと翻訳し続けた。

例えば、沈黙の森に響く祈りのようなアロマを味へと映し替えた『第一章 Isvaraya(イスバラヤ)』から、影と欲望を映す革の黙示を表現した『第四章 Cuir(キュイール)』まで。もはや菓子という枠を超え、脳を通じて語られる一篇の詩のような体験は、ショコラが「目に見えない感情」を伝えるメディアであることを証明してみせた。

一方、科学者のような鋭い視点で素材を分析し、地産地消の哲学を八つの情熱に結実させたのが、H CHOCOLATE WORLDの辻󠄀口博啓氏だ。

今季の『名古屋プレミアムボックス2026』は、まさに圧巻。西尾抹茶に国産柚子を合わせた二層仕立ての「柚子抹茶」や、岐阜県産たまり醤油の旨味に胡桃と胡麻の香ばしさを重ねた「胡桃醤油」など、地域の風土を科学的に解体し、完璧なハーモニーへと再構築している。

希少なペルー産ホワイトカカオの酸味を三重県産「岩戸の塩」で際立たせるその手腕は、カカオが紛れもなく「果実」であることを再発見させてくれる深い感動を呼び起こした。

「進化系オランジェット」:良質な苦味と和製柑橘の台頭

この「和の芳香」の進化は、空前の柑橘ショコラブーム――とりわけ「進化系オランジェット」の隆盛へと繋がっている。 日本上陸25周年のピエール・マルコリーニ氏が、徳島県産スダチや高知県産ユズを大々的に採用したことは極めて象徴的だった。日本人は古来、秋刀魚のわたや山菜など「良質な苦味」を解する舌を持っている。甘みの中に潜むほろ苦さを“奥行き”として楽しむ感性が、オランジェットの構造と完璧に一致したのだ。

世界的にも「柚子」という定番から、天草晩柑、せとか、シークワーサーなど、よりマニアックな産地指定の和製柑橘へと注目が移っている。マルコリーニ氏の「スダチと黒ごま」「ユズと燻製カシューナッツ」という組み合わせに見られるように、和の柑橘が持つ鋭い酸味と、香ばしい苦味の重なり。これまでの「甘いチョコ」のイメージを覆す、爽やかな“苦味”と“香り”を楽しむ大人のバレンタイン。これこそが2026年の空気感を決定づけたといえる。

・推しショコラ(エモーショナル・ギフト):個の署名(シグネチャー)を買う

2026年のバレンタインは、もはや「誰かにあげる」ためだけの行事ではなくなった。それは、「推しのシェフを応援する」「自分の感性を満たす」という極めてパーソナルなエモーショナル・ギフトへと進化した。

佐藤ひと美のスイーツレポート350]ジェイアール名古屋タカシマヤ「2026 アムール・デュ・ショコラ~ショコラ大好き!~」 シェフ33名のトレーディングカード(全82種)やオリジナルグッズが抽選で当たるという新要素もその一つかもしれない。

パッケージの芸術性、いわゆる「パケ買い」も、中身のクオリティと完全に同等、あるいはそれ以上に重要視された。箱を手に取った瞬間の高揚感、その重み、紙の手触りまでもが、自身のアイデンティティを肯定する「投資」となる。

ベルトラン・バレーの『アソルティマン クール・ア・ルーヴラージュ』。レターセットのような美しいBOXを開ければ、パリのレッドベリーやリヨンのマロンなど、シェフが愛したフランス7地域の記憶が、一篇の手紙のように綴られている。

「推し」という強い共感こそが、高価格という壁を軽やかに飛び越える最大のエンジンとなったのである。

2026年、ショコラに託した未来。―― カカオ高騰の嵐が変えた「愛の定義」

2026年のバレンタイン。私が目撃したのは、単なる甘いお菓子の祭典ではなかった。

それは、カカオ豆の高騰という未曾有の危機を前に、ショコラに関わるすべての人々が自らの「思想」を剥き出しにし、衝突し、昇華させた、一つの文化的な到達点だった。

ピエール・マルコリーニ氏が突きつけた、地球の裏側の農家に対する「倫理的な対価」。

ニコラ・クロワゾー氏が「アロマの解像度」で具現化した、パリの伝統と科学の融合。

マキシム・フレデリックが『プランクール』に込めた、一個人の魂としての「芸術性」。

そして、エスコヤマの小山進氏や辻口博啓氏が日本の四季や香水を味覚へと翻訳した、目に見えない「記憶」へのアプローチ。

これら一粒436円を超えるショコラたちが教えてくれたのは、「本物」を維持するためには、相応のコストと情熱、そして受け取る側の深い知性が必要であるという、厳然たる事実である。

一方で、テクノロジーが導き出した「脱カカオ」という新たな選択肢もまた、これからの時代を生き抜くための合理的で誠実な「進化」の形。本質を突く「深化」と、未来を拓く「進化」。この二極化は、もはや価格の差ではなく、私たちがどのような未来を支持するかという「意思表示」の差に他ならない。

「ボンボンショコラ離れ」という言葉は、今や完全に過去のものとなった。 私たちは離れたのではない。より深く、より真剣に、自分が何を愛し、何に投資すべきかを選別し始めたのだ。

一粒のショコラを口に含む。その数秒間の快楽の裏側にある、産地の土の匂いや、シェフの孤独な試行錯誤、そして自分自身の感性が震える瞬間。2026年、バレンタインは「贈る行事」から、自分自身の哲学を確かめる「儀式」へと昇華した。

私たちは今、チョコレートという物質を食べているのではない。それぞれの信じる「光」を選び、味わっているのだと私は思う。

その選択の積み重ねこそが、これからのショコラ文化、ひいては私たちが歩む世界の未来を形作っていく。

2026年。この年、私たちはショコラを愛することで、少しだけ新しい「生き方」を手に入れたのかもしれない。

    

    

この「2026年バレンタイン回顧録」に綴った言葉は、今季、私、佐藤ひと美が数々の会場を巡り、多くの作り手やショコラを愛する皆さんと接する中で、肌で感じ取った一つの「真実」です。

変わりゆく時代の中で、ショコラが単なる菓子を超え、私たちの哲学を映し出す鏡であり続けることを願って。